AAMT招待講演『語学教育とMT』機械翻訳の問題
~第二言語教育の立場から~
講演者:東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授トム・ガリー氏
出内 将夫
情報通信研究機構
1. はじめに
2021年6月23日に開催されたアジア太平洋機械翻訳協会 第2回定時社員総会が開催されました。第2回定時社員総会は、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、オンライン開催となりました。参加者は約100名でした。東京大学のトム・ガリー教授から、言語教育へのMTの影響に焦点を当てた招待講演がありましたので、以下に報告します。講演資料はhttps://aamt.info/wp-content/uploads/2021/06/AAMT_30th_PDF_Gally.pdfからアクセスできますので、ぜひ、これらの資料をご参照ください。
2. 招待講演
以下の1件の招待講演がありました。
◎『語学教育とMT』機械翻訳の問題 ~第二言語教育の立場から~:
トム・ガリー(Tom Gally)/東京大学大学院総合文化研究科・教養学部
前述の講演資料をもとに講演内容を次にまとめます。
◎『語学教育とMT』機械翻訳の問題 ~第二言語教育の立場から~:トム・ガリー(Tom Gally)氏
本日は機械翻訳(MT)関係者以外に、翻訳会社関係者、翻訳者、言語教育者の方なども参加されているということで、それを念頭に説明します。私はMTの専門家ではないので、MTの技術や現時点の精度については扱いません。
私は1957年に米国カリフォルニアで生まれ、大学と大学院で言語学と数学を専攻し、外国語としてロシア語と中国語を勉強しました。1983年に来日し、日本語を勉強しました。1986年にフリーランス翻訳者として日本語から英語の翻訳に携わりました。辞書の出版社からお声がけいただき、和英辞書や英和辞書の編集にも携わりました。2005年から東京大学で英語教育にかかわる仕事に携わっています。学部生に向けた英語アカデミック・ライティングプログラムの開発と運営、大学院では第二言語教育に関する研究指導などを行ってきました。
AAMTにとっては失礼な話かもしれませんが、私は長年、実際の用途においてはMTの利用が無理だと思っていました。人間の翻訳者は、頭の中で元の言語の文章の意味を理解して、翻訳先の言語で同じ意味の文を作成することを目指しますが、コンピュータは我々が理解する意味を扱えないと考えています。しかし2016年秋に、ニューラル機械翻訳(NMT)を応用した技術がGoogleから公開され、それを試して驚きました。それ以前のMTの出力は、主語や動詞の有無の判別すら難しい文がありましたが、正しい文の構造の持つ翻訳ができるようになっていました。その時から、私はMTと言語教育の問題を考えるようになりました。以下に、その問題について自分が思い付いた順番に説明します。
一つ目は「大学の英語アカデミック・ライティング授業を教える教員は、どのように学生のMT利用に対応すべきか?」という問題です。英語教育プログラムでは、学生が自分たちで辞書を引き、英語で論文を書くことを想定していました。しかし、学生たちが日本語で文章を書き、MTで翻訳するケースが出てきました。授業の目的は、英語で論文を書くことだけではありません。研究者がMTを利用して論文を書くことは問題無いと考えますが、言語教育としてMTの利用を許容するのかは別の問題です。
二つ目は「理科生がゼミの課題を遂行するために科学論文から情報を収集する必要があるときに、その学生にMTの利用を推薦すべきか?」という問題です。英語科目の先生は、英語文献を読む際は英語で読むべきだ、と考えていますが、研究を指導している先生が、MTの積極的な活用を推奨していた、というケースがありました。
三つ目は「企業や官公庁に就職する予定のある大学生にビジネス英語などを教えるときにMTの利用法を積極的に指導すべきか?」という問題です。大学で英語を教える目的の一つとして、学生が教わった内容を将来役立てられる、というものがあります。そのためにMTのツールの使い方や工夫を教えた方が良い、という意見と、ツールを使うと英語ができるようにならないため避けた方が良い、という意見があります。
四つ目は「MT利用は言語習得にどのように影響するか?」という問題です。学習者がMTを利用した場合、言語習得に悪影響があるのでは、という意見があります。例えば、30~40年前に電卓が世に出た時、計算ができなくなるのではないか、また、ワープロが世に出た時に漢字を書けなくなるのではないか、という意見があったことと似ています。MTを効果的に使えば、学習に役立つのではないか、という意見もあります。現時点では、おそらく一部の学習者に良い影響、一部の学習者に悪い影響が出ていて、まだ良くわかっていない状況です。
五つ目は「実社会ではMTがどのように使われているか?」という問題です。英語教育プログラムでは、三つ目の問題で述べたとおり、学生の将来を考慮します。学生が卒業後に実社会でMTを使う可能性があるため、MTがどのように使われているかを調査しようとしています。いろいろな人に聞き、Webの情報を調べていますが、今のところ、よく見えていません。
六つ目は「共通言語を持たない人たちがMTを使ったら、どのくらいコミュニケーションや協力をできるか?」という問題です。実用において、特にやり取りがある場合、MTは100%の精度を求められません。私が2年前に見かけた例で、外国人観光客と日本人学生が、電車の中でMTのアプリを使って日本語と英語でコミュニケーションをしていた場面がありました。一部のコミュニケーションは、音声認識や翻訳が失敗して成り立たないことがありましたが、「どの駅で降りれば良いか」「どの国から来たか」「何を勉強しているのか」といったコミュニケーションには成功していました。しかし、こういった短い会話だけでなく、国際的な企業において様々な国出身の従業員の間で共通言語が無い場合に、MTで業務がうまく行くのかまでは、明らかになっていません。
七つ目は「中学生から『翻訳アプリがあるから英語を勉強しなくてもいいのでは?』と言われたらどのように返事すべきか?」という問題です。日本ではすべての子供たちに英語教育を行っています。小・中学校の先生によると、5年前からこの質問がよく出ているとのことです。どのように返事をするか難しい問題です。
八つ目は「これからはすべての子供たちに英語を教える意味が果たしてあるのか?」という問題です。これは一番大きな問題であり、すぐに答えが出せません。現在、日本では義務教育において、すべての子供たちに外国語を教えています。学習指導要領で必修となったのは2002年ですが、実質的には1970年代からすべての中学校で英語を教えています。昨年から小学校でも教科として英語の授業が始まりました。MTでコミュニケーションできるようになった場合、英語教育の必要があるのか、という問題が生じます。
これらの問題を議論するために、言語習得(language acquisition)、言語学習(language study)、言語教育(language education)の基本概念を整理します。言語習得は、母語でも第二言語でも、ある言語の利用が自動化すること、つまり考えずに話したり聞いたり書いたり読んだりできる状態になることを指します。意識的に文法などの規則を学び語彙を暗記しても、発話できない、あるいは発話できても意味を理解できていなければ、言語習得とは言えません。
言語学習は、一人で外国語を学ぶことも含む概念です。言語学習においては、MTのツールが役立つか悪影響を生むか、個人個人の判断に依ります。言語学習では適宜MTのツールを使うのが良いと考えています。
一方、言語教育は特定の機関・組織・学校で行う言語に関する教育や学習のことです。本日の話では言語教育を対象とします。
言語教育についての様々な論争では、言語がどういうものか、という認識が異なっている場合があります。言語は、脳の中で処理をするような認知に関する営みであるという捉え方と、やり取りを伴い文化や社会的な現象との関係がある営みであるという捉え方の、二つの言語観があります。言語自体はその両面を持っており、どちらの考え方も正しいのですが、言語教育ではどちらの言語観を重視するのかという問題があります。今朝の新聞の一面記事に、文部科学省の有識者会議から、大学入試に英語の民間試験を導入することは困難である、という提言案が示され、夏には導入中止が決定される見込みである、というものがありました。民間試験導入については、数年前から様々な場所で議論があり、昨年の夏には日本学術会議からも提言がありました。
言語観の違いを、大学入試での試験問題を例に説明します。2020年までのセンター試験英語科目の第1問目で問われていたのは、発音やアクセントなど、認知的な言語観に基づく問題となっていました。一方、2021年に共通テストとなった英語科目の第1問目では、テキストのやり取りを読んで、その内容について問われる、社会的な言語観に基づく問題となっていました。センター試験から共通テストに変わったことで、問われる言語観が変わり、過去のテストを元に勉強してきた受験生は困ったと思われます。
言語教育を考える場合に、言語教育がどのような場面で行われるか、といった点も重要です。小学校、中学校、高校、大学(短大・専門学校を含む)、塾・予備校、語学学校について考えます。小学校から大学までは、国の法律に基づいて設立されており、国の規制や管理の影響を受けます。発表資料上で高校と大学の色を薄くしたのは、高校、大学と進むにつれ、その影響は弱くなるためです。小・中学校は、義務教育でもあるので、国の規制や管理を強く受けます。国と言っているのは、政府や文部科学省だけではなく、日本の中で英語を教えるべきというコンセンサスがあり、それが規制に含まれていると考えています。小・中学校では、教員免許があり、学習指導要領で細かく教える内容が決められており、教科書は検定というプロセスを経る必要があります。高校になると、教員免許や学習指導要領があるものの、規制は緩やかになります。大学では、外国語教育に関して、それぞれの大学でかなり自由に教育内容を決めることができます。もし公立の中学で、積極的にMTを教えようとして、検定教科書を使わずにMTの使い方を教えたら、問題になると思います。しかし、大学ではやろうと思えばできるのではないかと思います。ただし、大学で新しい学部を設立する際、MTがあるからこの学部では英語を全く教えません、とした場合、設立が認められない可能性はあるかもしれません。塾・予備校と語学学校では、ほぼ自由で何を教えても構いません。語学学校では、学習者は顧客でもあるので、顧客がMTの使い方を学びたいというのであれば、誰も問題視しないことになります。
言語教育の目標も言語教育を考える上で重要です。様々な議論がありますが、言語教育の目標を要約すると、実用、教養、試験・資格の3つに大別されます。実用は、将来仕事で使えるようにという考え方です。教養は、外国語を学ぶことで外国の文化などに関する知識を得る、母語との対比で母語についても理解を深められる、外国語の文法などを学ぶことで頭の訓練になる、という考え方です。試験・資格は、大学入試や資格取得を指します。学習者側の中には試験のために勉強するという人もいますが、国や教育者側は試験で、学習者の語学における実用や教養のレベルを測ろうとします。
言語教育の最大の問題は、学習者のモチベーションです。個人で学習するときも学校などで学ぶときも同様です。外国語の習得には時間がかかります。こつこつ続けて勉強するのは大変であるため、何をきっかけに言語の勉強を始め、どう継続して勉強するか、という問題があります。高校までは、進学するための試験に必要というモチベーションがありますが、大学の言語教育では、試験のモチベーションが無くなるため、特にこの問題の重要さを感じます。
言語教育にとってのMTの特徴を考えます。まず、使いやすく無料、といった特徴があります。30年前であれば、メインフレームのコンピュータにアクセスできる企業のみがMTを扱える状況だったことから、MTが言語教育の現場に及ぼす影響は無かったでしょう。NMTが出てきたとき、スマートフォンなどの便利なデバイスが広く普及しており、すぐに教育の現場でも対応を決める必要がありました。別の特徴として、正確に見える、という特徴があります。学習済みの言語間で翻訳にMTを使った場合、間違いがあれば気づけますが、知らない言語への翻訳にMTを使うと、間違っていても気づけません。学習者がMTを使った場合、MTの間違いに気づけずに完璧だと思ってしまう、という問題があります。もう一つの特徴に、人間なら何年間も勉強して、やっと取得できる能力を持つように見える、というものがあります。私は過去に韓国で講演をしたことがあり、年数回韓国語で書かれたメールが来ます。私はハングルの文字が読めないので、まったく意味が分かりません。NMTが無いときは、韓国語が分かる学生に尋ね、自分に何かを依頼するメールではなく、シンポジウム開催の告知メールであることを確認していました。NMTが実用化された後は、多少不自然な訳はありましたが、NMTを利用して自分で内容を確認することができるようになりました。もし私がハングルで書かれたメールを自分で読めるようになるまで韓国語を学ぶとしたら、何年もかかると思われます。
これまでに挙げた問題を整理するために、言語教育に関係する言語観、場面、目的の要素をマトリックスに示しました。このマトリックスを用いて、問題を整理していきます。
一つ目のケースでは、大学受験を目指す高校生について考えます。彼らの目的は試験であり、高校や塾・予備校などの場面で、語彙を暗記したり文法を学んだりと認知的な言語観に沿った勉強をします。言語学習にMTを活用している学習者はいるかもしれませんが、私はまだそういった事例の報告は聞いたことがありません。今後も試験におけるMTの利用は認められないと考えられるため、このケースではMTが役立つ機会は少ないと思われます。
二つ目のケースでは、英会話を学ぶ会社員について考えます。私は語学学校に勤めたことがありますが、会社員の方は商談や海外出張で会話できるようになるために学んでいることが多いです。実用が目的なので、言語観は社会的な側面が重視されます。会話ができるようになるには、会話そのものを練習する必要があるので、このケースでもMTが役立つ機会は限られると思われます。遠隔での会話ではMTが使えるかもしれませんが、対面の会話でMTを使うと信用が得られない可能性があります。
三つ目のケースとして、語学学校でのシニア向けの文化講座を考えます。彼らの目的は教養で、言語観としては学ぶ国がどういう国であるかといった社会的な面が重視されます。このケースでは、その国の言語で書かれたWebページや文書を、MTで翻訳して調べることにより、日本語で書かれた情報を調べるよりもその国のことを知れるため、MTは役立つと思います。
四つ目のケースは、国立大学の必修授業です。重視する言語観や目的は統一されているわけではなく、授業ごとに異なります。文法・語彙・読解力など認知的な側面を重視する授業、コミュニケーションを重視する授業の双方が提供されていることが多いです。このケースでは、コンセンサスが無いためMTの活用を議論することは難しいです。一部の私立大学では、学生が将来英語にかかわる仕事に就かないことが多く、英語を必修の授業としているものの、授業の目的・言語観が曖昧となっているケースもあると聞きます。
小・中学校の外国語授業についても大学と同様にコンセンサスがありません。学習指導要領や検定教科書を読むと、言語観について近年は社会的な面が重視されてきていますが、初めて学ぶ言語の音素やスペルを紹介する必要もあるため、認知的・社会的の両面を含んでいます。子供たち・保護者・先生のいずれもコンセンサスに至っていないのではないかと思います。
結論にならない結論となりますが、次のことが分からない限り、言語教育がMTにどのように対応すべきか分かるようにならないと考えています。一つ目はMTの社会的な実用性、二つ目はMTが言語習得への影響、三つ目は学習者のモチベーションへの影響です。学習者のモチベーションへの影響とは、MTがあるから外国語を勉強しなくても良い、となるのか、MTによって外国のことが分かるようになり、もっと学びたくなるのか、ということです。実用性、言語習得への影響、学習者のモチベーションへの影響は、第二言語教育専門家や応用言語学者が5年間あるいは10年間研究すれば、分かってくるのではないかと思います。あるいは学習者や教育者が実際にMTを試すことで分かる部分もあるため、今でも少しずつ分かってきている部分はあると思います。言語観や英語教育の目的に関するコンセンサスも必要です。コンセンサスについては、日本では長い間議論が続いている話であり、難しい問題です。問題が問題のままこの講演は終わりますが、皆様からの質疑を楽しみにしています。
◎質疑
質疑は、以下のとおりです。
隅田英一郎氏:
今日の話は日本人の義務教育で英語を教えるべきか、という話が重要な部分でしたが、外国の人が日本語を勉強することを考えると別の状況になりませんか。例えば、アメリカのビジネスマンがMTを使ってどんどん日本人と仕事の話をしたい場合に、どんな教育をすべきか、という話だとどうなりますか。
トム・ガリー氏:
その状況ではアメリカのビジネスマンが日本語を学ぶことになると思いますが、教育ではなく学習の範疇になると思います。個人の学習ではMTをどんどん使えばよいと思います。また、実際にMTを自習で使ったことがある人は、それを発信してほしいと思います。一つ例を挙げると、先日会った50代の日本人女性は、英会話の勉強に熱心で、英会話のレッスンに参加する前に、レッスンで話したいことを事前にMTで翻訳して覚えておく、と言っていました。これは従来の方法ではできなかったMTの効果的な利用方法だと思います。教育では、管理・統一して全員が勉強することになるため、勉強のペースを合わせ、テストも共通にする必要があるため、かなり大きな問題になると考えています。
会場:
小学校の義務教育において英語を教育するのは文部科学省を含めた国だけの判断ではなく、国民が英語を教えるべきだと考える風潮があって、それが影響しているとのお話がありました。だとすると文部科学省に影響をあたえるきっかけは何でしょうか。何らかの報告書でしょうか。それとも調査が実施されているのでしょうか。ご存じでしたらご教示ください。
トム・ガリー氏:
私が指導している大学院生がそのテーマで論文を書いています。文部科学省の中にさまざまな審議会があり、研究者、企業、政治家などいろいろな参加者がいて、提言がまとめられます。詳しくは分かりませんが、かなり複雑な要因が絡んでいるという認識です。その中でも、日本国民の中では英語を勉強すべき、というコンセンサスが強いと思われます。義務教育では外国語を教えることになっていますが、学習指導要領を読むと、ほとんどの内容は英語についての記載です。英語以外の外国語を教える中学校は全国に数校しかありません。日本国内で外国語を使う機会があるとしたら、観光客などの統計を見るとアジアの国々の言葉を使う機会が多そうに見えます。それでも外国語として英語だけを教えているのは、日本国民の中でも外国語は英語である、という考え方が強いと考えています。
会場:
たとえば、ライティングに活用するなどの「MTを使いこなすための教育」についてどう思われますか。ただし、MTを使いこなすためには、高度な語学能力が必要になると思います。この点について、どう思われますか。ガリー先生の教育の経験も含め教えてください。
トム・ガリー氏:
最初に私がこの問題を発信したのは2017年のことだったと思います。隅田先生をお招きしてMTを紹介いただいたシンポジウムで、テーマは「機械翻訳と第二言語ライティング」だったと記憶しています。教育では学生を採点する必要があるのでMTの活用が難しい面があります。しかし理系の研究所で英語論文を書く場面を考えると、MTの使い方を教えることは効果的で、良い論文が書けるようになると考えています。例を挙げると、まず日本語で書いた文を英語に翻訳して英語の意味を確認するだけでなく、その英語を日本語に翻訳して日本語の意味を確認することを教えたり、専門用語の扱いを教えたり、MTを一度だけ使うのではなく何度も繰り返し使うことを教えたり、日本語のすべての文に主語を補うことを教えたりすることが有効だと考えています。翻訳会社でプリエディットとして行うことに近いので、プリエディットのコツ、ポストエディットのコツを教えることはMTを使う上でも有用です。ただしこれは完全に実用を考えた場合です。教育では、実用以外に教養も考える必要があり、言語観や目的にコンセンサスがありません。同じ職場・学校でも言語観や目的が異なっていることや、学習者間でも異なっていることがあります。私は先日、現在教えている学部一・二年生向けの「オンライン・ディスカッション」という授業で、MTを使っていますか、という匿名のアンケートをしたところ、学生の半分くらいからMTを使っているという回答がありました。MTを使っていない学生に理由を尋ねたところ、授業なので自分の力のみで行うべき、MTを使うのは不正である、といった回答がありました。教育の場面でMTを使うことの難しさはこのような部分にあると思います。
会場:
MTを利用すれば、外国に関する情報収集は容易になると思いますが、そのようなMTの得意なことを外国語教育に応用することは考えられるでしょうか。
トム・ガリー氏:
これは外国語教育の目的に関する問題だと思います。数年前に知り合った教育者と、この問題について議論したことがありますが、小・中学校の先生がMTを積極的に活用して外国の様子を調べる授業を行えると考えているようです。教室でパソコンが使えれば、様々な国の子供たちの遊び、食事、服装などについて、その国々の人々が書いたWebサイトを調べることができます。MTを使って外国について知ることは、社会科の授業としてとても面白い授業になると思います。しかし、語学の授業として、どこまで取り入れるかは別の問題です。MTで外国について知る授業を体験した後に、語彙、文法、会話の授業を行うと、なぜMTがあるのに難しい英単語の勉強をするのか、という質問がより多く出ると思われるため、難しい問題だと思います。
会場:
学生のモチベーションや、コミュニケーションか、研究者養成かといった、大学の授業の目標設定に関しては、英語よりも必修の第二外国語の方が、課題が大きいかと思います。いろいろな先生と話す機会があると思いますが、第二外国語の先生方からMTをめぐる苦労話や利点は聞いてらっしゃいますか。
トム・ガリー氏:
東大では、すべての学生が第二外国語を学ぶ必要があります。入学した後、ゼロからフランス語、中国語、韓国朝鮮語、ロシア語など、今までに習ったことが無い言語を学びます。東大の教養課程では広く勉強させるという理念があるため、これからも第二外国語を必修とすると思います。学んだことのない言語ではMTは使いにくいのではないかと思います。少なくとも、私が聞いたことがある範囲では、初級レベルの第二外国語教育ではMTはまだ大きな問題と見做されていないようです。
会場:
MTを英語ライティングに応用すると、これまでの単語の使い方、文法の正しさ中心の作文教育から、アイデア・論理の展開などへの教育に有用ではないでしょうか。単語や文法の教育を軽視するわけではありませんが、それを超えた世界があるような気がします。
トム・ガリー氏:
東大の学部一年生向けのアカデミック・ライティングの授業を担当する教員の間で、MTに関する問題も含めて話し合っています。授業で重視しているのは、アイデアや論理の展開、読者の理解を考えた表現、先行研究の紹介の仕方などです。学生は大学に入るまでに語彙や文法を勉強してきているので、この授業では語彙や文法はそこまで重視していません。英語でまとまった文章を書くための技術の方が重要なので、MTを使って良いのではないか、と考える教員もいます。しかし、大学としては言語習得も重要であるためMTを許容すべきでないという意見もあり、コンセンサスに至っていません。
AIの発展で、自動運転やAI倫理の問題が発生していることと同様に、MTを言語教育の世界でどうするか、という問題について議論が必要だと考えています。この問題に社会としてコンセンサスが出せるように、皆様も是非考えてみてください。
講演内に回答できなかった質問と回答については、https://aamt.info/aamt-soukai2021-seminar/に掲載されていますので、ご参照ください。
3. おわりに
本講演は、オンライン開催となりましたが、多くの質疑があり活発な議論が行われました。言語教育におけるMTに関わる様々な問題と、それを考える上で必要となる観点を紹介いただき、社会におけるコンセンサスの重要性について説明いただきました。最後に、報告者の感想を記載します。講演で言及があった計算機を例に考えると、実用分野の資格試験では電卓使用可の試験も多いようで、MTによって外国語教育の応用や実用に近い部分は影響を受ける可能性があると感じました。一方で、電卓があっても算数や数学を学ぶ必要があるのと同様に、外国語教育の基礎は変わらない部分も多いと感じました。小・中学校の教育でICT活用が進んでいるため、MTを若いうちから当たり前に使う人が増えることで、社会のコンセンサスが生まれる日も近いのではないか、と感じました。